昭和も半世紀を重ね、昭和生まれの人口が8割を占めるようになり、59年の総理府の調査では9割の人が中流意識を持っているという結果が出ました。この10年はロッキード事件、グリコ・森永事件を始め全国を騒がす事件、そして、我が御幸町においても、駿河湾巨大地震説の発表による動揺、昭和55年紺屋町のゴールデン街地下街の痛ましいガス爆発事故、56年には打って変わって、期待に満ちた国鉄静岡駅ターミナルビル「パルシェ」のオープンなど、忘れられない出来事がいくつも押し寄せた時代でした。
観光会館にて、盛大に行われた「御幸町創立30周年記念祝典。昭和21年7月26日の告示で御幸町の町名が誕生。
昭和55年、静岡祭。呉服町通りを行く。
子供の数も減り、祭りに参加する大人の数も減ってきて、連合町内会で行った。
昭和55年、すぎもとコーヒー
昭和55年頃、ポアソンビルより静岡駅方面を望む。
昭和55年8月16日、紺屋町のゴールデン街地下街でガス爆発事故発生。地下は爆風、地上は窓ガラスが飛び散った。長い間放置されていたが、昭和62年に復旧。
昭和56年、小梳神社大祭の子供神輿。この子たちも、今ではみなお父さん、お母さん。
昭和57年11月、町内発展会の旅行で伊勢志摩へ。