昭和41年日本の人口は1億人を突破、日本の反映の影で、公害問題が深刻化してきたのも、この頃のことです。昭和48年には、石油ショックによるトイレットペーパー買い占め客がスーパーに殺到するなど世相を反映する事件もあり、省資源、節約が叫ばれる時代に入りました。昭和49年には戦後初のマイナス成長。買い控えで、消費需要が落ち込んだため、倒産する会社が増加するなど暗いニュースが目立つ中、万国博覧会、東名高速道路の開通は活気ある話題でした。
昭和40年の御幸通り。交通量が増え、人々が自転車でのんびりと行き交う姿はない。
昭和40年代始め頃、松坂屋の屋上より国道と静岡駅構内を望む。
昭和42年、外壁改装後の松坂屋を望む。左後方は増築した新館。丸井、野村證券も登場し、御幸通りが賑わってきた頃だ。
昭和43年4月、お踟(おねり)。この年は青葉学区と合同で開催した。衣装は学区で揃えた。
昭和44年4月1日、静岡市市政80周年式典が行われ、打ち上げ花火で祝った。
昭和48年、改築前の静岡駅前